ニューヨーク旅行記 「まっかなリンゴへ帰ろうよ!」
旅行期間 2001年12月25日〜12月30日
12月25日
機体損傷!?!
往復25000円の航空券は成田ーニューヨーク。
搭乗手続きを終えてゲートで待っていると、明らかに見たことのある人が目の前に。そう、シベリア
鉄道を共にしてジンノ君だ。話し掛けて懐かしさに浸る。
普通に搭乗し、普通に席につき、普通に機内放送や安全のビデオが始まり、普通に滑走路まで進んだ。
しかしそこからは普通じゃなかった。機長のアナウンスによると、「警告」ランプが消えないので調査
するとのこと。その警告ランプは機内を温暖に保つシステムに問題があると。これは大変だ。
それ以外何も知らされないまま4時間が過ぎ、故障個所が見つかった後も1時間が過ぎ、成田空港の
利用可能時間ギリギリに近づく。結局部品が足りないから飛べないとのこと。
ターミナルに引き返す航空機に乗る乗客は文句を浴びせるのかと思いきや、「25000円だし、仕方ないか」
といった和みの空気が流れていた。
エアラインの用意するホテルに一泊して明日の朝発ちます。
←犯人はコイツだ!!
12月26日
夢に見たマンハッタンに沈む傷跡と自由の象徴
航空機は20時間遅れで成田を飛び立ち、12時間後にニューヨークJFKエアポートに降り立った。
スカンク氏と共に無料バスと地下鉄を乗り継いで一時間半ほどでマンハッタンへたどり着いた。地下から
地上にのぼった時、周りにそびえ立つ高層ビル群に囲まれてそれでけでワクワクしてきた。
チェルシーセンターというホステルにチェックインし、さっそく街へ繰り出した。
まずは何と言ってもWTC崩壊後を訪れたかった。地下鉄で近くまで移動してそこから徒歩で。
WTCがあったその場所には青空が広がっていた。不自然にぽっかりと。現場まで近づくことは
できないけど、遠くからでも被害状況は理解できる。周りにはいろんな人からのメッセージや、その中に
は千羽鶴なども捧げられていた。
中央やや左がぽっかり空いたスペース
そのままブロードウェイを下ってバッテリーパークまで歩き、自由の女神が立つリバティ島までの
フェリーに乗ろうと思ったら長蛇の列。そしてチケット売り切れのアナウンス。ならば隣の無料フェリーに
乗り込み往復しながら自由の女神を鑑賞した。彼女はフツーにそびえ立っていた。
ホステルに戻って一服した後、スカンク氏とロックフェラーセンターに出かけた。日本でクリスマスツリー
はクリスマスが終わるとすぐ撤収だが、パースもそうだったがここニューヨークも普通に残ってある。
観光客もすごい数で、有名なこのツリーを一目見ようとみんな集まっていた。
ロックフェラーセンターのツリー
夕食は軽くピザバーで。軽くといってもクオーターでもバカでかく、それでいて2ドルくらい。
味も絶品でやはりピザとホットドックは逃せません。
12月27日
これぞニューヨーカーのお楽しみ!
朝7時にがんばって起床した僕はさっさと準備して街へ向かった。その先ブロードウェイ。
ニューヨークに来たらやはりブロードウェイミュージカルを見逃すわけにはいかないので、情報を
便りに朝10時から学生向けのラッシュチケットが20枚売り出されるということで「アイーダ」を
公演しているパレスシアターに向かった。
この作品はエルトンジョン作曲ということもあり、前々から見たかったのだ。8時過ぎ、シアターの前に到着すると
日本人観光客を含めて約40人の行列が。。。しかしチケット入手を信じて極寒の中で2時間待った。そして、、
グッドラック1…今日は2回公演だったから学生チケットは40枚
グッドラック2…寒すぎで待ちきれずに目の前に並んでいた中国人2人は帰宅
グッドラック3…10時になって係りの人が「学生だけ」と叫ぶと学生証が無い人は帰った
グッドラック4…40枚のチケットの最後の一枚を手に入れることができた
そういうわけでハッピーな気分で2時からのミュージカルを待つのでした。
タイムズスクエアの真ん中に「アイーダ」
2時まで時間があったので、徒歩でMOMA(近代美術館)へ向かった。ここでも入場に30分以上待たされた。
僕にとっての目玉はやはりマチスの「ダンス」でしょう。これを見ずに帰る人はまずいない。
サンクトペテルブルグでも見たけどまた見たい。しかし、ここでは運は味方してくれなかった。なんと、
MOMAの有名作品のほとんどは東京の上野美術館に行っているだと!ショックを隠し切れなかったが、
それでもマチスの大作は他にもあったのでボーッと鑑賞していた。
さて、いよいよ2時になり「アイーダ」の開演です。学生チケットは最前列。足元とかは見えないってこと
だけど役者さんがを1メートルの距離で拝むことができる。
「アイーダ」を見終えて。。すごかった。本当に感動した。なんというか音楽もかっこいいし歌もいいしダンスも
いい。思わず笑みがこぼれてしまうようなゾクゾクする舞台だった。ストーリーも感動的で主演男優が格好良かった。
本当にもう一度見たい作品だ。。
ホステルに戻った僕はスカンク氏を連れてソーホーのマレーシアレストランへ。世界どの街に行ってもマレー料理
が食べれるのなら一番に選んでしまう。そして定番のミ−ゴレンとサテ。美味すぎで幸せ。
エンパイアステートビルに登ろうということで、夜の町を歩いていると何やら警官が大量に出動して物騒な
感じ。次の日の新聞で見ると、僕が通る1時間前くらいにトラック転倒で7人が死亡したらしい。危ないなぁ。
ステートビルにも45分並んで最上階86階(だったかな)へ。
エンパイアステートビルから見下ろすマンハッタンは4方すべてが光を放ち大阪のツインタワーとは
比べ物にならないほどきれいだった。全方向に宝石がちりばめられていた。
ホステルに戻って宿泊客と話をしているとみんなでパブに行って飲もうってことになった。ま、英語を話す
いい機会だってことで僕も参加。参加者は僕、スカンク氏、オカマ君、関西外大君、年齢嘘つきおねえさん、以上が日本人で
あとはシドニーのおばさん、マンチェスターのおにいさん、フランスのエロ兄、ヨハネスブルグのおねえちゃん。
夜11時ごろに地下鉄でイーストビレッジへ。そこにあるパブで僕はマンチェスターのお兄さんとずっと話していた。
フランスのエロ兄が年齢嘘つきお姉さんを本場のテクで口説いている姿が笑える。成就しなかったようだが。
で、1時半ころになると何故か30分以上かけて歩いてチェルシーまで帰ったのでした。少々ビビりながら。
12月28日
のんびり歩こうこの街を
ということで、滞在最終日はそんなに焦らずのんびりニューヨークを歩いてまわった。
ゆっくり寝てそしてまずは地下鉄で北上。メトロポリタン美術館を目指す。これで世界4大美術館のうちの
3つ目に来たことになる。あとはルーブルだけ。中はでかすぎた。エルミタージュの時にかなり疲れたのを
覚えているので今日は18〜19世紀のヨーロッパ美術に的をしぼって鑑賞。一つの作品の前にじっと、ってことは
しなかったけれど、作品の多さ、質の高さに驚きながら2階フロアを歩いていた。内装はエルミタージュの
ほうがすごかったかもしれない。
メトロポリタンミュージアム
またバッテリーパークに行ってしまった。ベンチに座ってホットドックをかじりながら自由の女神像を
眺めるのはことを自分のNYスタイル化してしまった。相変わらずリバティ島へのフェリーは込んでいる
みたいす。偶然会ったジンノ君とその妹はリバティ島から帰ってきたところだった。
ブロードウェイを北上してウォール街へたどり着いた(ブロードウェイってのは劇場の集まる地区ってわけじゃなくて
マンハッタンを縦断しているストリート名)。ここは世界の金融を動かす中心地ってことなのでどれほど緊迫した
ストリートなんだろうと思って足を踏み入れてみると、なんてことはない観光客が溜まっていた。ほんとうに
ここは金融街なんだろうかって思うくらい。でも世界有数の銀行が門を構えているのは確かであった。
WALL ST and BROADWAY
一旦ホステルに戻ったが、暗くなり始めるのを見計らって出発。まだまだ待ち歩きは終わらない。
そして撮りたかったのがこの写真。暗くなってしまえばビルの輪郭が上手く写せないからね、
僕の古いカメラでは。。
地下鉄32nd st駅から見上げるエンパイアステートビル
チャイナタウンに出かけた。ここはニューヨークだということを忘れさせてくれるという。
確かに歩いているだけで一つの違いに気付く。普通、ニューヨークの横断歩道の信号は「WALK」と「DON'T WALK」
なんだけど、チャイナタウンに入ると日本方式で信号は「人が止まる姿」と「人が歩く姿」だった。ってことはこれくらいの
英語も中国人は理解できないのか?!と少し面白かった。
やはりどこの町のチャイナタウンも一緒っていうのはお土産屋ばっかりってことそれも街中で売っている値段とは
わけが違う。シドニーのパディスマーケットを思い出すような中国人の商売パワーを感じる。
ふとインドネシア食料品店を発見、もしやと思い入ってみるとやはりインスタント「ミーゴレン」が売っているじゃありませんか。
これはオーストラリアでの大好物だった食べ物。6つで2ドルという格安で購入し、夕飯になるのであった。
チャイナタウンから北上してリトルイタリ−へ入ると、途端に帽子屋が増えだしてこれがイタリアなのかなと思いながら
通り過ぎる。イタリアには行ったことがないので。そしてソーホーを通って地下鉄の駅に向かう途中に初めて雪が降り出した。
そんな凍えるような空の下、楽しかったニューヨークでの3日間は終わりを告げるのでありました。
翌日、朝の便で無事に成田へと帰りました。ニューヨークは歩いているだけでワクワクするような場所。日本人はなぜ
そこまで避けるのか。ほんとうに少なかった。ほかの国の観光客はうじゃうじゃいるのに。また近い将来、仕事やら何やらで
この「ビッグアップル」(←ニューヨークのニックネーム)へ帰ってこようと思いました。おわり。