退院後〜

 

2003年4月〜6月

退院から3ヶ月は自宅療養です。基礎体力が無くなっているので

毎日少しずつ歩いて体力をつけていかねばなりません。

食事はもちろん何度にも分けます。

@朝食…午前8時 普段の朝食の半分

A間食…午前10時 普段の朝食の残りの半分

B昼食…午後1時 普段の昼食の半分

C間食…午後4時 普段の昼食の半分若しくは甘いおやつ

D夕食…午後7時 普段の夕食の半分

E夕食2… 午後9時 普段の夕食の半分とミックスジュース

といったように、規則正しく、できるだけ食事量を減らさないようにしました。

こうしないと簡単に体重が減っていきます。

母親は毎日栄養十分でお腹に優しい料理を作り続けてくれました。ありがとう。

 

やはり少しでも食事のスピードが上がってしまうと、食後1時間は地獄を見ます。

週に3〜4回はお腹を壊すのはあたりまえ。一度お腹が壊れると1時間は動けません。

これをダンピング症状というようです。

 

3ヶ月も自宅療養の期間があるということで、自宅でできる何かを探していました。

そしてCPA(米国公認会計士)の勉強を始めることにしました。入院中に資料請求して

病棟で見ていて、これならがんばれそうと思ったからです。

自宅にほとんどの時間居るわけで、毎日6〜8時間は勉強の時間がとれました。

 

社会人になって、もう当分は戻ってこないだろうと思っていた奈良の自宅で

3ヶ月も過ごせてとても幸せでした。やっぱりここには大切な人やモノがたくさんありました。

そしてたくさんのことを考える期間を与えられました。

「生きてるだけで儲けモン」これは明石家さんまの言葉ですが、まさにそのとおりで、

儲けモンの人生、これから自分のやりたいように生きて行こうと思うのでした。

 

2003年7月〜

7月1日より、元の会社に戻ることになります。普段通り出社して普段どおり

仕事を始めました。2月に実家に戻る時は、急だったために課長より「良性ポリープ」との

連絡を皆にしたんだと思いますが、さすがに今の時点では皆分かっているのでしょう。

気持ち悪いくらい急にやさしくなった人たちに甘えながら、定時出勤を続けました。

まあ、本当にそんなに忙しくは無い部隊なので助かってますが。。

あまりにもつまらなくて嫌いな部署内だけでの飲み会にも当然不参加でかなり

自由な時間がある社会人生活です。勉強の時間もたっぷりとれます。

 

しかし、やはり食事は大変ですね。

@6時半 寮で朝ごはん

A10時ごろ ビスケットなど甘いものをとる

B12時 昼食

C16時 間食(おにぎりやサンドイッチ)

D20時 夕食

といった具合です。特に、昼食の後の1時〜2時は冷や汗がでたりお腹を壊したり

大変な日々が続きます。さらに17時ごろになると、体力的に動けなくなることも

よくありました。しかし、体調不良で休むことはほとんどなくこれまでやっています。

 

9月には術後半年の検査を受けました。検査内容は、胃カメラ・腹部エコー・血液検査

のみでした。特に胃カメラが重要ですが、今回は細胞検査が必要な箇所はまったくなく、

ピロリ菌もうまく除菌されている模様でした。あと5年間、半年毎に検査を受けて、何も

なければ晴れて完治と言えるのでしょうね。

 

2003年10月〜

だいぶ体の調子も良くなってきました。現在の食事状況は下記の通りです。

@6時半 朝食

A12時 昼食

B17時 間食(おにぎり2個くらい)

C20時 夕食

調子のいい日は3食体制にするときもあります。でも油断して食事のスピードが

あがってしまうと、1時〜2時は冷や汗地獄でございます。

(参考)スパゲティ 12分以内で間食→冷や汗地獄 15分以上かける→GOOD!

術後半年間は禁止されていたお酒(チューハイやジュース感覚のやつ)や、

炭酸飲料(大好きなメロンソーダやコーラ)もちょっとずつ飲んじゃってます。

麺類は一人前食べきれるようになりました!

でも吉野家の牛丼など、御飯モノは半分でお箸が止まります。

 

そういえば、体重のおはなしは一度もでてきてないのかな。

病気前の僕の標準体重 … 58キロ

発病・入院時の体重 … 55キロ

手術後の体重 … 49キロ

退院後の体重 … 48キロ

その後、48〜49キロを推移するまま、仕事復帰する。

現在(2003年12月) … 50.5〜51キロくらいです。

 

以後、随時報告していきまーす!!

 

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